入門者の声


 こちらの道場は合気の原理を分かり易く、分かるまで何回でも繰り返して教えてくれます。
 今までの技を別の言葉として、知らない技、新しい技を教えて頂けます。
 とても刺激のある、充実した稽古の時間を過ごしていると感じております。
  時代劇や歴史小説で、杖をついた老人が屈強な男数人を池に投げ入れたり、簀巻にした状態で人を投げ飛ばしたりする映像を見たことがあります。
 これらは次元の違う、または荒唐無稽のようではあるが実際にあったからこのような表現がされていると思っていました。
そのためいろいろな武術系道場の見学や本DVDを見てましたが、結局は解らず終いでおりました。
 偶然にも、YouTubeで、投げる人は何もしていないようなのに、向かいあった人は訳が分からず投げられている臥龍禅合気柔術の動画を見て、原理を知りたく、即見学、即入門致しました。
 これは合気という技術により可能であるということらしいのですが、その場その時の口伝によらなければ教えられない、伝わらない、理解出来ないとのこと。これではいくら写真やDVDを見たところで分からないはずだと思い知らされました。
 合気は体の内部を完璧、100%にすることで相手に作用するらしく、内面的にいろいろな作業が必要のようです。
 昨日できたことが今日できなかったり、新しく来られた門人に技がかからなかったり、逆に無意識でなぜか出来てしまったり、心の乱れや邪念など内面の状況が大きく左右します。ここが合気の難しいところかと感じております。
 合気の見えない不思議な力を体得すべく、暗中をさ迷いつつも、探求し学び続けたいと思います。

(50代 男性 会社員)

 私が大東流合気柔術にご縁があったのは、今から11年前(平成19年1月)の、多賀城市体育館の道場でした。
 私はその頃、子供たちに柔道の指導に当たっていました。そこで道場の半分の方で稽古している方達がいました。見ていると、いとも簡単に先生に投げられていました。面白そうだなと見ていたところ、「ちょっとやってみませんか」と言われ、先生が「膝の上の手を強く抑えてみてください」と言われたので抑えてみたところ、身体がフワッといとも簡単に投げられてしまいました。2,3回やってみても同じように投げられてしまいました。・・・うん!これは何?と思ったものでした。
 これが大東流合気柔術だと知らされ、古武道の一つであると知りました。大東流は清和天皇の末孫、新羅三郎義光が始祖としており、旧会津藩家老西郷頼母改め保科近悳様で、その流れをくむ宗家武田惣角という方が北海道で広めたそうです。私はその魅力に惹かれて、是非教えていただきたく入門させていただきました。

 この技は「気」の力で相手に対応することだそうです。
 それから週1回ですが練習に励みました。ところが「気」を出す前にどうしても身体が反応してしまい、老師から「力じゃないんだよ、丹田から出る「気」なんだよ」と言われても、なかなか出来ませんでした。
 攻める側も「気」で攻め、受ける側も「気」で対応します。ここに難しさがあって、同じように「気」で攻め合いしているのに、受けの方が有利になります。何故かと老師にお伺いしたことがありますが、攻める方は倒そうという邪心があり、受ける方は、信じる心と坐禅のように<無>の世界にいるからだと教わった気がします。合気柔術は動く坐禅だとよく言われます。

 此度老師から奥義参段の推薦があり受けることになりましたが、まだまだの感がありますが、これからも合気の心と技の修行に精進したいと思います。ご指導よろしくお願いいたします。

 
(70代 男性 整骨院経営)

 きっかけはたまたま見たホームページでした。随分と昔にちょっとだけ他の武術をかじったことがあった私は、特に理由もなく再び武道を始めようと思い、自身の拙い知識と経験をもとに合気系の武術がいいなとパソコンで道場を検索したところ、当道場のHPがヒットし稽古場所も(当時は仙台市内にある宮城県武道館)家から近かったので、軽い気持ちで見学に行きました。そこで初めて体験した臥龍禅の技に訳も分からず体を崩され、不思議な感動を覚えてその場で入門しました。
 それから結構な年月が過ぎ、気が付いたらいつの間にか古参の弟子の一人となっていたのですが、合気という道を極めるにはまだまだほど遠く、山登りに例えたら未だ3合目辺りといったところでしょうか。頂はまだ遠くてほとんど見えないのですが、生涯をかけて登りつめる価値があるものだと最近よく感じます。そしてそこには恐らく技だけでなく心の在り方も極めた、まさに「剣禅一如」というものがあるのだろうと思います。

 
(50代 男性 会社員)

 知り合いの紹介で、平成23年の秋から入門しました。その後、妻も入門し、夫婦・子供で大変お世話になっています。
 それまでスポーツの経験しかなく、武術をやったことが全くありませんでしたが、中條老師に優しく丁寧に指導を頂き、不器用な私でも、おかげさまで現在でも楽しく稽古を続けられています。
 臥龍禅の「合気柔術」は大変柔らかい技が特徴で、老若男女の関係がなく、楽しく学ぶことができます。また、武術の技のみだけではなく、老師がおっしゃる「動く座禅」として、物事への臨み方・考え方など、人が生きる上での心構えも学ぶことができます。
 「合気柔術」を始めてからは、体の使い方が上達したり、気の流れが良くなることでより健康になりました。また、仕事や日常生活でより落ち着くことができるようになり、物事に対して動じない心を得ることができました。
 今後も稽古を通じて、「合気柔術」として「動く座禅」として、楽しく学びを続けていきたいと考えています。

 
(30代 男性 公務員)

 初級・中級・上級と暗中模索で稽古してきて、やっと遠くのほうに小さな灯が見える所まできたのかな、と言う思いです。
 これからは、その灯を見失わないように仲間に助けられながら、臥龍老師の考える禅と合氣を体に沁みこませるよう、稽古に精進します。

 
(50代 男性 会社員)

 平成22年4月25日、同期のM氏と共に臥龍禅本部道場にて初段 の御免状と名入りの黒帯を老師より頂戴した。
 以前より武器術系武道の段位は所持していたが、そちらでは「黒帯」という制度は無いため、実際に段位を頂いて黒い帯をしめるという経験は今回が初めてである。
 そのせいかうれしい反面ちょっとした違和感もあって、まだ何となく落ち着かない。
 三年前に大東流合気柔術臥龍禅道場の門を叩いた頃、多少合気道の 心得があった私にとっては何もかもが常識を覆す驚愕的な体験の連 続であった。
 老師の手にかかると、どんなに頑張ってみてもあっと いう間に投げ捨てられてしまうのであった。
 いざ自分でやって見る番になると、これまたまったく誰にも通じず、それは惨憺たる状況であった。
 何とかして相手を投げようとして焦って力めば力むほど技はかからず、ヤケになって合気道の技を試みてみても、かえって反撃を食らってしまうだけであった。
 正式に入門した後もこのような惨めな稽古が延々と続いたのであるが、諦めないで続けて行くうちに、二年目を過ぎた頃から朧げながら少しずつ合気の片鱗が感じられるようになってきた。
 合気は肉眼では見えない世界である。それゆえ、「これが合気です」とか、「こうすれば合気が出せます」等といった言語や視覚を通じての取得や理解はおよそ不可能である。
 これは「不立文字」「以心伝心」といった禅の世界そのものに繋がるものであり、老師がしばしば合気柔術のことを「動く禅」と仰っていることにも得心がいく。
 この度頂いた段位は、深遠なる合気の世界のほんの入り口の道しるべにすぎない。
 今後とも絶えざる研鑽を積み、この未知なる素晴らしい世界に少しでも近付きたいと思う。

 
(50代 男性 医師)

 初めて大東流を体験したのは、5年位前の古武道演武大会です。投げられてる方々がやけに楽しそうなのが印象的でした。
 これは是非とも体験したいと思い、その後の体験会に参加しましたが、訳も分からずにコロコロと転がされ、あまりの不思議さに笑う自分がいました。それから数年の間に、何度か稽古に参加させて頂き、5年のためらい期間を経て入門しました。
 大東流の面白い所は、老師の言うとおりに出来れば初心者でも出来る所です。今のままの自分でも、内面が変化すれば体の持っている本来の力が発揮できます。最もそれが一番難しく、相手を倒してやろうと色気を出すと、とたんに技がかからなくなります。
 最近の目標はそう言う邪念を無くして心を鍛える事なので、昔やっていたと言われる茶道が復活すると嬉しいです。
 毎回の稽古がとても楽しいので、末永く続けたいと思います。

 
(40代 男性 自営業)

 幼稚園のお友達がいろいろな習い事を楽しそうにやっているのを見て「私も何かやりたい」とお願いしたら、お父さんがここに連れて来てくれました。
 武術を見るのは初めてなので、最初はちょっと怖かったけれど、みんな優しくてすぐに楽しくなりました。そして先生の言った通りにやってみたら、お父さんを投げることができてびっくりしました。
 体の大きなお父さんをおもちゃみたいにポンポン投げる中條先生はすごいと思うし、優しいから大好きです。

 
(6才 女性 幼稚園児)

 かねてより古武道団体の運営関係で中條先生にはお世話になっており、様々な流派の研究仲間と共に講座を設けご指導いただいたこともありました。
 程なく小学校入学を迎える娘から「何か習い事をしたい」と頼まれ、人生の柱となるような意義あるものを、礼儀作法や物事の考え方もしっかり身につけられる所で…と考えて臥龍禅道場にお願いする事にしました。
 ここでは子供が大人を投げるという一般には信じられないような事象や、そこにある技術や意識の持ち方を体感する事ができます。一見不可能なものをただ「できない」と言うのではなく、理に適った正しい姿勢、努力をすれば「必ずできる」と学ばせる事ができる。これは他には替え難いものだと私は感じます。
 より深い理合い、技術を学ぶ為に私自身も入門し、共に数名の他分野、他流派の先生方、研究仲間も入門しましたが、臥龍禅道場の技法は、同時にこれまで身につけた他流の気付かなかった奥深い部分を発見する、あるいはその質を大きく向上させる事にも繋がり、稽古の度に大きく前進する事ができます。
 求めるものが全く異なっていても、父娘一緒に充実した稽古できる臥龍禅道場ですから、きっと入門する人それぞれに価値のあるものを示してくれるでしょう。

 
(40代 男性 武術研究者)

「動く坐禅としての大東流合気柔術を学んで」
 突然ですが、私は以前から縁あって瞑想をしておりまして、ある時瞑想を続ける中で、自分の瞑想は「つかむ」瞑想だなと気づかされました。
 つまり、仏教の文脈でいうと私たちは無始なる過去から「つかむ、つかむ、つかむ」で生きてきている。
 今、そのような生き方に疲れてそのようなあり方から離れるため、瞑想をはじめたはずなのに、「つかむ」以外の方法を知らないため、せっかくはじめた瞑想の中でもやっぱり「つかんで」しまう。
 そのような自分の姿に気づかさせていただいて、あまりの自分の馬鹿さ加減に大笑いをいたしました。
 しかし、そのような自分の愚かな姿に気づかさせていただいたのはいいのですが、では「つかまない」瞑想とは何か。
 「あるがまま」とか澤木老師のお言葉、「坐禅をしても何にもならん」などのヒントは耳に入るのですが、凡夫根性の染み付いた「我」にはピンときません。
 もやもやしているうちに、修行への意欲が上がらなくなってしまい、瞑想も細々とつづける程度になってしまいました。
 そんな折、たまたま臥龍禅道場のことを知り、中條老師の「動く坐禅」というお言葉を発見しまして、ここに何かこの状況を脱出する鍵があるかもしれないと思い、入門させていただきました。
 入門し老師の指導をうけて修行をしておりますと、自分に「我」が現れると相手にも「我」が現れて技が通らなかったり、よい技ほど、「我」に実感がないなど、私が瞑想において問題にしていたことが、まさに目の前の技の成否となって現れるのが面白く、楽しく修行をさせていただいております。
 お陰さまで、瞑想もまた違った味わいがするようになり、以前のように座るようになりました。
 これからも、不思議かつ、ダイナミックな合気を通じて透明な世界を探検したく思っております。

 
(40代 男性 自営業)

 今までの固定観念を打ち破るくらい衝撃的でした。
 武術といえば、なんだかんだで、結局その人の身体能力に左右されるものだと思っておりましたが、必要なのは心だけでした。
 日本の武術はそんな浅いものではないんだな、と実感させられます。
 この道場では自分の心が技になりますので、技をもって心を体感することができます。
 それはやはり動く禅なんだなと思います。
 言葉で説明できる日常世界に疲れたら、ぜひこの門を叩いて欲しいです。

 
(20代 男性 学生)

 私は少年の頃から強いものに憧れていました。
 10年ほど前、津本陽の小説「鬼の冠」を読み、武田惣角の大東流合気柔術のことを知りました。
 東松島市に大東流合気柔術の道場があることを知り、こわごわ電話をしてみました。
 初めて道場を訪れたとき、先生をはじめ、お弟子さんたちの、明るく楽しい稽古風景を拝見し、その場で入門させていただきました。

 私が何より気に入っているのは、
「肚から力を出すこと」
「正中線を意識し相手に正対すること」
「後ろに引かないこと」・・・など、日常生活にそのまま通じることです。

 将来は、黒帯をもって世界旅行をしたいです。
 そのとき日本人として何か特技がないとね。

 
(50代 男性 会社員)

 言葉では伝えられないほど不思議です。
 なぜ?
 力を使わないのに相手を倒せるのか? 相手が苦しむのか?
 体験した方にしかわからない。
 女性でも簡単に力を使わずに出来ます。
 不思議で楽しくて、年数が経つほど面白みが出てくる気がします。
 何の世界でもそうでしょう、はじめから上手な人はいない。
 経験を積むから、楽しさと難しさを学ぶことになるのでは…。
 先生も稽古に来てる方も、親切にしてくれるので安心です。
 たくさん学び、技をカッコヨク決めたいてす。
 不思議を体験に来てくたさい。心の勉強も自然に学べます。

 
(30代 女性 主婦)

 私は整体の仕事をしています。
 人の体の軸を整える仕事をしていて、自分の軸はどうなんだろうか?
 身体的な軸だけではなく、内面的な心の軸もしっかりして、治療にあたりたいと思うようになりました。
 そんな時出会えたのが、大東流合気柔術臥龍禅道場でした。
 稽古をする中で、体験し、先生が話される一言一言が、私にとっては仕事や生活に役立つことばかりです。
 大東流合気柔術の感想を一言でいうと、こんな言葉が適切かどうかわかりませんが、
 「内なる武道」…それが頭に浮かびました。

 
(30代 男性 会社員)

 心身の肚と中心点がブレていると、無駄に力んでしまったりで技がかからないため、稽古をしていると、否応でもその時の自分が見えてきます。
 それが日常でも励みになり、何事にも向き合うようにもなりました。
 ちょっと気持ちがブレた時には、稽古を思い出して、内面が整う方向に向かうようにもなりました。
 また、日常での行動が、稽古にも表われてくるので、とても楽しく続けています。

 
(20代 男性 ミュージシャン)




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